2025.4.13 開会 10:30
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◎できるだけ10時30分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。
黙祷
讃詠 18「心を高くあげよ!」
主の祈り
賛美 206「七日の旅路」
聖書 マタイによる福音書第27章32-56節(新約聖書57頁)
- 十字架につけられる
32 兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33 そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34 苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36 そこに座って見張りをしていた。
37 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38 折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40 言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」41 同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。42 「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。43 神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」44 一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
- イエスの死
45 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47 そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。48 そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。49 ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。50 しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。53 そして、イエスの復活の後、墓から/出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。54 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。55 またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。56 その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
賛美 339「来たれ聖霊よ」
説教 <イエスの死がもたらしたもの> 牧師 木谷 誠
一般社会に暦があるように、教会にも暦があります。10月下旬から教会の暦は天地創造から始まってイエス・キリストの誕生、生涯、受難、十字架の死、そして復活、昇天、聖霊降臨とおよそ半年をかけて神の救いの御業をたどります。
今はイエス・キリストの受難から十字架の死に差し掛かっています。本日は棕櫚の主日ということでイエスがエルサレムに入場していくことを覚えます。今週の金曜日は受難日として、イエスの十字架の死を覚え、来週はいよいよ復活日・イースターとしてキリストの復活を祝います。
皆さんは、パッションという映画をご存知でしょうか?メル・ギブソンという俳優が監督になってイエス・キリストの最後の12時間を描いた映画です。イエスが捕えられた後、様々な暴力を受けたことが福音書にも書かれています。その様子を映画の中でメル・ギブソンなりに忠実に描いたこと、それがあまりにも残酷な描写であったことで大きな話題となりました。この映画の中で監督メル・ギブソンがほんの僅かの瞬間ですが出演しているのだそうです。それはイエスを十字架に打ち付けるハンマーを振るう左手の場面なのだそうです。この場面を通して、メル・ギブソンは、「イエスを十字架にかけたのは私です。」と告白しているのだそうです。
もちろん、イエスが十字架にかけられたのは約2000年前ですから、メル・ギブソンが実際にイエスを十字架にかけることは不可能です。「イエスを十字架にかけてしまった人々の罪と同じ罪が自分の中にも存在する」とメル・ギブソンはこの場面で告白しているのでした。
イエスの受難の物語を読みますと、人々の様々な罪がイエスにのしかかっていきます。妬み、憎しみ、不正、欺瞞、暴力、利己心、自分勝手などなど、そしてその根底に神に背くという根本的な罪があります。それら一切をイエスは引き受けて十字架にかかりました。全ての罪の罰をイエスは一言も弁解もせずに引き受けてくださったのです。それはそこにいた人々の罪であり、その罪の罰はそこにいた人々が受けるべきものでした。それをイエスはその人々の身代わりとなって担い、その罪の罰として十字架に死なれたのでした。これによってイエスは人々のそして私たちの罪を私たちに代わって償われたのです。
これによって罪のゆるしが実現しました。神と人とを隔てていた罪が取り除かれ、神との愛の交わりが実現しました。神殿の幕はとても分厚い幕だったのだそうです。一説には厚さ30センチとも言われます。そのような分厚い幕は神と人とを隔てるシンボルでした。この幕が引き裂かれ、神と人との隔てとしての罪がなくなりました。そこから神との愛の交わりが豊かに始まります。また聖なる者たちの体が生き返るという出来事は、死が乗り超えられたということをも示しています。
イエスの死を通して、私たちの罪の赦しと神との永遠の愛の交わり、死を超えた永遠の命が実現しました。この十字架の出来事に私たちに示された神の愛と希望があるのです。心から感謝したいと思います。
賛美 311「血しおしたたる」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄 91「神の恵みゆたかに受け」
黙祷
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