2025.2.23 降誕節第9主日(いやすキリスト) 開会 10:30
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◎できるだけ10時30分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。
黙祷
讃詠 13「みつかいと共に」
主の祈り
賛美 207「ほめよ主を」
聖書 マタイによる福音書 第15章21-31節(新約聖書30頁)
21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
29 イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。30 大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。31 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
賛美 343「聖霊よ、降りて」
説教 <諦めずに祈り続ける> 牧師 木谷 誠
実は私、この聖書は大好きです。ここで一つ踏まえておかなければならないことがあります。この女性はティルスとシドンの地に住むカナン人の女性です。すなわちユダヤ人(イスラエルの民)ではありません。異邦人です。
その異邦人の女性が、あの知恵と力に溢れたイエスを見事に言い負かしているということに何か痛快なものを感じるのです。
この女性は、イエスが病をいやし、悪霊を追い出しているという噂を聞いたのでしょう。それで愛する娘のいやしを願ってやって来ました。娘は悪霊に苦しんでいたとのことです。イエスの時代には、発作性の病気のことを「悪霊に憑かれた」と表現しました。例えば痙攣のような病気もイエスの時代には悪霊に憑かれたとされたのです。そのような癒しを願い求める女性に対して、イエスの対応は実に冷淡でした。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」これが本当にイエスの言葉なのか、もしかして別人?とすら思ってしまいます。
当時のイエスの活動の中でユダヤ人以外の異邦人をどれだけ視野に入れていたのか、イエスは意外と「ユダヤ人限定」と本気で思っていたのかもしれません。
しかし、この異邦人の女性はいささかも怯みません。必死になってイエスに訴えます。「子ども達のパンを犬にやるのは・・・」とはひどい言葉です。そんなひどい言葉を言われても女性はそのイエスの言葉を逆手に取って「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」と訴えます。この返しは見事です。我が子を思う母の愛はユダヤ人も異邦人も変わりません。見事にイエスも言い負かされてしまいました。そしてイエスはこの女性の信仰をほめたのでした。この女性のなりふり構わず、ただただ一心不乱に神に向けて訴える母親の姿、そこにイエスは信仰を認めたのでした。
このエピソードの中でイエスはなぜこれほど冷淡な対応を最初に取ったのでしょうか?それはイエス自身、自分はユダヤ人(イスラエルの民)のために遣わされていると本気で思っていたということもあるでしょう。しかし、それ以上にイエスは信仰とは、なりふり構わず必死になって神に呼びかけ、願い求めるものであるということを伝えたかったのではないでしょうか。諦めないで、愛する者のために必死になって願い求めること、そこに信仰があるとイエスは言いたかったのです。私たちはこの異邦人の女性の姿から、諦めないでしつこく願い続けることの大切さを教えられます。
7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。ルカによる福音書第18章7-8節
私たちもこの女性のように諦めないで、神に向かって祈り続ける者でありたいと思います。
賛美 287「ナザレの村里」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄 27「父・子・聖霊の」
黙祷
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