◎できるだけ10時30分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。
1月26日は木谷が休暇のため、山田茂美牧師が説教を担当されます。そのためライブ配信は行いません。聖書箇所は教団の聖書日課から選んであります。
黙祷
讃詠 10「今こそ人みな」
主の祈り
賛美 206「七日の旅路」
聖書 マタイによる福音書 第4章12-17節(新約聖書5頁)
- ガリラヤで伝道を始める
12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、
16 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
賛美 343「聖霊よ、降りて」
説教 <暗闇に射し込む光> 牧師 木谷 誠
「ヘロデ」という名前は聖書の世界の中では悪役として有名になっています。その根拠はイエスが誕生した時に行った幼児虐殺です。この幼児虐殺を行った「ヘロデ」は「ヘロデ大王」と呼ばれます。このヘロデ大王は権謀術数を駆使して、ユダヤ全土を支配しました。エルサレム神殿の大改築など大きな業績を上げました。一方で猜疑心が強く、身内を含む多くの人間を殺害しました。そのような暴挙の一つが幼児虐殺でした。そのためヘロデ大王は「幼子殺し」として悪役・暴君の代名詞のようになっています。
本日の聖書には洗礼者ヨハネが捕えられたと書かれていますが。これはヘロデ大王の息子であるヘロデ・アンティパスの仕業です。このヘロデ・アンティパスも権謀術数をめぐらせて、ガリラヤとペレヤの領主となりました。その過程で、彼は弟フィリッポスの妻へロディアを奪って妻としたのです。洗礼者ヨハネは、預言者として、ヘロデを厳しく批判していたのでした。そのためヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネを捕らえ、後にヘロデは洗礼者ヨハネを処刑してしまいました。
預言者として神に仕える洗礼者ヨハネが、ヘロデに捕えられた時、多くの人々が失望したことでしょう。「この世の権力者の方が神よりも強いのだろうか。」と人々はため息をついたことでしょう。無力感に打ちのめされたことでしょう。権力者の力が大きく見え、神の力が小さく見えてしまいます。暗闇が支配し、希望を見出すことができません。
しかし、希望は決して失われていません。ヨハネが捕えられた後、いよいよイエスが登場します。人が望みを見出せない時でも、神はそこに希望の光をもたらしてくださるのです。信仰は、私たち人間が希望を見出せない時でも、神が希望をもたらしてくださること、それゆえに希望を失わない、絶望しないということです。
「赤毛のアン」という映画が私は大好きです。マリラとマシューが求めていたのは男の子でした。そこに女の子のアンがやってきました。手続きの間違いでした。家族ができると喜んだアンはがっかりして「絶望」を口にしました。その時にマリラが「絶望は罪です」と言ったのです。この言葉が強く心に残りました。絶望は、「神様、あなたは私を救うことはできませんよ」と神様にダメ出しをすることです。もちろん絶望する人は深く傷ついています。そこへの配慮は必要です。しかし、私たちが希望を見出せない時にも神は希望をもたらしてくださることは信仰の真理として覚えなければなりません。
私たちは大きな不安の時代に生きています。この不安な時代を打破する具体的な手がかりが見つかりません。なかなか明るい展望を持つことが難しい状況です。自分の無力を思い知らされます。しかし、自分が無力で希望を見出せなくても、神はイキイキと働いて、希望をもたらしてくださるという本日の聖書の言葉に私たちは励まされます。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」とイエスは宣言されます。大切な身支度は「悔い改め」です。間違いを認めて、生き方を改めることです。本日の聖書の文脈ならば、自分が希望を見出せなくても、神が希望をもたらされることを信じて、望みを失わないで、神の導きを求めて歩むことです。私たちには見えなくても、希望はあります。神の国は近づいています。そのことに励まされて、この不安の時代を歩んでまいりましょう。
賛美 522「キリストにはかえられません」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄 27「父・子・聖霊の」
黙祷
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