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◎できるだけ10時30分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。
黙祷
讃詠 8「心の底より」
主の祈り
賛美 202「よろこびとさかえに満つ」
聖書 マタイの福音書 第4章18-25節(新約聖書5頁)
18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。20 二人はすぐに網を捨てて従った。21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。
賛美 339「来たれ聖霊よ」
説教 <教え 宣べ伝え いやす> 牧師 木谷 誠
高校生の頃、家永三郎氏が監修した「新講世界史」という本を読みました。新しい歴史観が新鮮でした。たとえば1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見について、「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」という理解に対して、「アメリカ大陸に住む人がコロンブスを発見した」という理解も十分に成り立つのではないか」という歴史観でした。歴史を逆の方向から理解することの大切さをその本は教えてくれました。
教会においでになる方の多くは「ご自分が教会を見つけ、イエス・キリストと出会った」と思っておられるかも知れません。逆から考えることも可能なのではないでしょうか。すなわち「教会の主であるイエス・キリストが自分を見つけ、自分と出会ってくださった」という理解も十分成り立つのではないでしょうか。私たちが探し求める前にイエス・キリストが私たちを探し求め、私たちと出会ってくださった。
信仰とは、自分の人生の出来事を、「自分中心」、「自分から」の考え方から「神(イエス)中心」、「神(イエス)から」へと考え方を転換するということなのです。
最初にイエス・キリストの弟子となったペトロとヨハネについても、彼らがイエスを見つけたのではありません。イエスが彼らを見つけ、声をかけ、新しい人生へと導いてくださったのでした。それはこれまで漁師として魚を相手にする仕事から、人間を相手にする仕事への転換でした。彼らがすぐイエスに従ったのはなぜでしょうか?
イエスと出会い、声をかけていただいた時、彼らは心に何を感じたのでしょうか?そこには驚きと喜びがありました。イエスという預言者(まだ救い主という理解はありません)に声をかけていただいた驚き、そして必要とされているという喜びです。私たちは、誰かから必要とされている時、頼られている時、喜びを感じます。その理由はそこに自分の存在意義、自己肯定感を見出すからです。その大きな驚きと喜び、驚くべき恵み(アメイジンググレイス)に押し出されて、彼らはイエスに従ったのでした。
驚くべきことに、喜ばしいことに、イエスは私たちをも必要としてくださっています。頼りにしてくださっています。様々な欠点、弱さ、罪深さを全てご存知の上で、私たちを必要としてくださっているのです。このイエスとの出会いの恵みに驚き、喜んで私たちもイエスに従って自分の人生をこの年も新たに歩んでまいりたいと思います。
そしてその歩みは、イエスの「教え、宣べ伝え、いやす」働きに従う歩みです。
イエスは会堂で新しい神の国(神のご支配)がどのようなものであるかを教え、新しい生き方を示してくださいました。そしてイエスは、会堂を出て、その神の国(神のご支配)に従う生き方の素晴らしさを広く「宣べ伝え」られました。さらにイエスは、人々の様々な病や苦しみ悩みに寄り添い、支え、共に歩んでくださいました。これが「いやし」です。ここにもマタイによる福音書1章23節の「インマヌエル(神はわれわれと共におられる)というメッセージが、イエスの身をもって示されています。
この働きのために、ペトロやヨハネと同じく、私たちもイエスから必要とされています。頼りにされています。なんという光栄でしょうか。新しい年、このことを改めて確かめ、驚き、喜び、イエスの「教え、宣べ伝え、いやす」働きに参加してまいりましょう。
賛美 515「きみのたまものと」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄 88「心に愛を」
黙祷
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