◎できるだけ10時30分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。
黙祷
讃詠 6「つくりぬしを賛美します」
主の祈り
賛美 211「あさかぜしずかにふきて」
聖書 マタイの福音書 第2章13-23節(新約聖書12頁)
13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」
19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
賛美 248「エッサイの根より」
説教 <闇の現実に突入する神> 牧師 木谷 誠
マタイによる福音書のクリスマス物語、12節までで終わりなら良かったのですが、残念ながらその続きがあります。マタイによる福音書において、イエス・キリストの誕生の出来事幼児虐殺という悲劇で終わるのです。
三人の博士を利用して、「新しいユダヤ人の王」イエスの居場所を見つけ、これを亡き者にしようとしたヘロデの企みは頓挫しました。ヘロデは大いに怒り、ベツレヘム周辺の二歳以下の男の子を一人残らず殺させたというのです。なんという暴挙でしょうか。この幼児虐殺(嬰児虐殺)、一体何人くらいの子どもの命が奪われたのでしょうか。これについては諸説あります。14,000人とも60,000を超えるという説もありますが、ベツレヘムは小さな村ですし、その周辺地域を合わせても全人口は1000人から2000人であったと思われます。この全人口に占める2歳以下の男の子の割合は多く見ても数十人くらいであったと思われます。しかし、数の問題ではありません。この幼児(嬰児)虐殺の悲劇はその後の教会においても深く心痛む出来事として覚えられ、この子どもたちは最初の殉教者とされています。のちに世の人々の罪の身代わりとして十字架の死を遂げるイエスですが、イエスの身代わりとして死んでしまった子どもたちが存在したのです。
そのようにして教会の歴史の中で衝撃を与えてきたこの幼児虐殺の出来事、本当にやりきれない思いがいたします。虐殺の首謀者であるヘロデに代表される人間の罪の現実(神への冒涜、利己心、自己保身、妬み、そこから起こる暴力と抑圧)は、ついにはイエスを十字架にかけていきます。そしてその後もこのような悲劇は数限りなく繰り返されてきました。真っ先に犠牲になるのは罪のない子どもたちです。
ところで「イエスは難民だった。」という説があります。確かに虐殺を逃れて他国へ移り住むという意味ではイエスも難民の一人であったということができます。難民の問題も人間の罪が生み出した大きな問題として今日も取り上げられています。
そのような闇の世にイエスが再び帰って来られました。エジプトに留まっていた方が安全だったことでしょう。しかし、イエスは父と母に連れられてガリラヤのナザレに帰って来られました。人間の罪の現実、抑圧と暴力は変わりません。しかし、そこにイエスがおいでになりました。そして共にいて、愛を注ぎ、その罪を引き受けて十字架にかかり、私たちに永遠の命、永遠の愛の交わりの道を開いてくださいました。私たちの罪の現実、時にはあまりの惨状に言葉もなくなり、立ち尽くすことがあります。そのような現実に神が共にいてくださる。そこに私たちの希望があるのです。新しい年、罪の現実に打ちのめされることもあるでしょうが、神が共にいてくださる、寄り添ってくださることに希望を見出して共に歩んでまいりましょう。
賛美 273「この聖き夜に」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄 90「主よ、来たり、祝したまえ」
黙祷
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