復活節第4主日(弟子への委託)2024.4.21 開会 10:15

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◎できるだけ10時15分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。

黙祷    
讃詠 8「心の底より」
主の祈り
賛美 152「みめぐみふかき主に」
聖書 ヨハネによる福音書第21章15-19節(新約聖書211頁)
1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

賛美 346「来れ聖霊よ」
説教          <わたしを愛しているか>        牧師 木谷  誠
本日の聖書を読みますと私は元草深教会牧師で、教団議長も務められた辻宣道先生のことを思い出します。
辻先生は、青森のホーリネス教会の牧師の息子としてお生まれになりました。戦時中、ホーリネスが国家の迫害にあった時、お父様は獄中で亡くなられ、ご家族は大変なご苦労をなさったとのことでした。教会の脆さ、弱さもひしひしとお感じになったようです。またその時、日本基督教団はホーリネス教会と牧師を見捨ててしまいました。この悲劇の経験をもとに、苦難の中にあっても揺るがない教会の形成を目指して伝道牧会に励まれました。その経験を生かして書かれた本が、「教会生活の処方箋」という本でした。私は、学生の頃、この本を熱心に読み、教会形成の心構えと実際についてとても勉強になりました。とても厳しいことも書いてありましたが、実際にお会いしてみますと辻先生はとても気さくな親しみやすい優しい先生でした。
後に辻宣道牧師は日本キリスト教団総会議長に選挙されました。その頃、私は東中国教区におりました。若い牧師たちの勉強会にお招きしたら、快くお引き受けくださいました。あまりにもあっさりとお引き受けくださったので、驚いてしまいました。また、日本キリスト教団の日毎の糧に当時私が支えておりました児島教会が掲載されたのですが、祈りのおハガキをくださいました。ということはおそらく毎日その日その日掲載される教会におハガキを書いておられたのでしょう。本当に凄い方でした。
その辻宣道牧師は本日お読みいただきました聖書を大切にしておられたようです。「伝道者はどれだけイエスを愛しているかが大切。そこで決まる。」とおっしゃったのだそうです。
復活のイエスはそれこそしつこく三度もペトロに「わたしを愛しているか」と問われました。ペトロはイエスを裏切って逃げてしまいました。おまけに(?)イエスを三度知らないと言ってしまいました。何度もしつこく聞かれても仕方がないかもしれません。なぜイエスは何度もペトロに聞いたのでしょうか?
それはペトロが過去にイエスを裏切ったことがあったからでもなければ、三度知らないと言ったからもでもありません。イエスはペトロを責めようとして何度も聞いたのではありません。これから伝道者として、イエスから大切な使命(信徒を養い導くつとめ、伝道のつとめ)を担う時に、どれだけイエスご自身を愛していることが大切かということを、イエスはペトロにわかって欲しかったのです。
これからペトロは使徒として歩み始めます。それは想像を絶する苦難の歩みです。その時に大切なことは、その苦難を乗り越えるために必要なことはイエスを愛することだということをイエスはペトロに伝えたかったのです。ではなぜイエスを愛することが大切なのでしょうか?
イエスを愛する時、不思議なことに、私たちがイエスを愛する愛に遥かに優ってイエスが自分を愛していることがわかります。それはイエスを愛する時により強く感じることができるのです。そしてそのイエスから愛されている愛の実感、愛の喜びが、イエスから委ねられた使命を担う力、知恵、励ましとなるのです。
賛美 483「わが主イェスよ、ひたすら」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄   91「神の恵みゆたかに受け」
黙祷
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