2023年5月14日 復活節第6主日礼拝 (信仰に報いる主)

【家庭礼拝の手引き】
日本キリスト教団 今治教会
復活節第6主日礼拝 (信仰に報いる主)
2023.5.14開会 10:15
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◎できるだけ10時15分に、難しい方はご都合のつく時間に守ってください。

黙祷     

讃詠 24「たたえよ、主の民」

主の祈り 

賛美 202「よろこびとさかえに満つ」

聖書 ルカによる福音書第7章1-10節(新約聖書114頁)
1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

賛美 57「ガリラヤの風かおる丘で」


説教 <言葉を信じる>        牧師 木谷 誠
本日の聖書には百人隊長(ローマ帝国の軍人で文字通り100人程度の兵士を率いる指揮官)が登場します。当然百人隊長はユダヤ人ではなく異邦人です。イエスは百人隊長の信仰を高く評価しました。それはどのような信仰であったのでしょうか。
百人隊長は、当時の植民地の民であったユダヤ人のために会堂を建てる程に非常に好意的でした。また部下を大切にする人でした。彼はイエスが病気を癒すことを聞きました。そして彼はイエスに病気で死にかけている部下を助けてくださいとユダヤ人長老を通して願ったのでした。イエスはこの願いを聞き、さっそく出かけました。イエスが近くまで来たことを知った百人隊長は、使いを通して、言わせました。
6「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」
百人隊長は、自分のことをイエスを迎え入れるには「ふさわしくない」と言っています。ここでとても興味深いことがあります。4節でユダヤ人の長老たちは百人隊長のことを「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。」と言っています。この食い違い(?)は何を意味しているのでしょうか?ここに百人隊長の信仰を理解する鍵があります。百人隊長は、自分の至らなさ、神のみ前に罪深い者であることを自覚していました。それゆえに自分はイエスを迎え入れるには「ふさわしくない」者であると告白しているのです。この「ふさわしくない」という自覚は神とイエスの前における深いへり下りを意味しています。そしてこのような自分はふさわしい者ではないという自覚こそ、実は神を受け入れる、イエスを受け入れるもっとも「ふさわしい」態度なのです。
「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」
百人隊長の信仰の学ぶべきもう一つのポイントがここに示されています。それは「見ないで信じる信仰」です。イエスはこの信仰を「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」と高く評価されました。イスラエルの歴史を見渡しますと、アブラハムやモーセなどの例外はありますが、神の約束を信じきれず、信仰から離れてしまった例が多くあります。「見ないで信じる」どころか、「見ても信じない」という不信仰な出来事がたくさんあるのです。それゆえにイエスはこの百人隊長の信仰を高く評価されたのでした。
私たちも、「見ないで信じる」のが本当の信仰であるとわかっていても、信じきれない弱さを持っています。このような百人隊長の信仰に学び、それに倣う者となれるように、神様の助けを祈り求めたいと思います。
賛美 456 「わが魂を愛するイエスよ」
献金(ご都合の良い時に教会にお捧げください)
頌栄   88「心に愛を」
黙祷

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